ドラフトを知ると野球がもっと楽しくなる

どのチームが「人」を育て強くなるのか

平成ドラフトプレイバック~1989年

 新年早々に時代が「昭和」から「平成」に変わった。この年、セ・リーグは巨人が斎藤雅樹槙原寛己桑田真澄の3本柱を擁し2年振りに優勝。パ・リーグ近鉄が、2位オリックスとゲーム差なし、3位西武と0.5ゲーム差の大接戦を制し、9年振りに優勝を果たした。日本シリーズでは、巨人が3連敗から4連勝する大逆転劇で日本一を果たした。

 この年のドラフトは、社会人ナンバーワン投手の野茂英雄新日鉄堺・投手)が最大の目玉で、大学生・社会人の即戦力選手が豊作の年だった。このほかには、甲子園のスター選手、元木大介(上宮高・内野手が「巨人以外には行かない」と宣言、東京六大学スラッガー大森剛(慶大・内野手も巨人志望で、巨人が元木と大森のどとらを指名するかに注目が集まった。

 この年から、昨年まで指名選手は手書きだったが、OA機器が導入され、TVで生中継もされ、新時代ドラフトの幕開けになった。

●ノモ、ノモ、ノモ…史上最多の8球団が競合!巨人は元木か、大森か?

 まず最大の注目だった野茂は、12球団OKで条件はただ一つ、「フォームを変えないこと」だった。高校時代は無名だったが、既にこのとき代名詞のトルネード投法で頭角を表し、入社した新日鉄堺でさらに磨きをかけ、ドラフト1位候補にまで上り詰めたプライドだろう。

 指名は前年最下位のロッテから始まり、ドラフト会議の名司会者、伊東一雄氏が「野茂英雄」の名前を読み上げた。その後、大洋(現D℮NA)、日本ハム阪神ダイエー(現ソフトバンク)、ヤクルトと6球団が続けて野茂を指名した。

 どこまで野茂の指名が続くかと思ったとき、次に西武が相思相愛の潮崎哲也松下電器・投手)を、次いで中日がロッテを除く在京球団希望の与田剛(NTT東京・投手)を指名した。再びオリックスが野茂、広島も地元出身で、これも相思相愛の佐々岡真司(NTT中国・投手)近鉄の野茂指名を挟み、いよいよ巨人の番を迎えた。静まりかえる会場のなか、読み上げられた名前は大森だった。巨人からの1位指名を確信していたような笑顔を見せていた元木は、下をうつむき顔を上げず、希望選手を単独指名できた藤田元治監督にもなぜか笑顔がなかった。

 競合したのは野茂一人で、史上最多の8球団指名のなか運命の抽選になった。だが、一斉に開封したがどこも手を上げない、怪訝そうに周りの顔を窺うなか、最後にクジを引いた近鉄仰木彬監督は、どこかが当たっていると思いなかなか封を切らなかったが、それが当たりクジだった。

 この後、野茂を外した7球団の指名に注目が集まった。まずはロッテが小宮山悟早大・投手)、大洋が腰痛を理由にプロ入りに難色を示していた佐々木主浩東北福祉大・投手)を敢然と指名した。続く日本ハム酒井光次郎(近大・投手)阪神は元木をスルーして葛西稔(法大・投手)、そして次にダイエーが元木を指名し、会場がざわついた。ヤクルトは西村龍次ヤマハ・投手)オリックスが最後に佐藤和弘熊谷組・外野手)を指名し、12名のドラフト1位選手が出揃った。

 錚々たる選手が並ぶが、野茂はまさしく本物だった。1年目に18勝を上げ、最多勝、最高防御率、最高勝率、沢村賞の投手タイトルを総ナメにしMVPに選出。その後、日本人メジャーリーガーのパイオニアとなった。佐々木は大魔神と呼ばれ屈指のクローザーに成長し通算252セーブ、小宮山も精密機械の異名のもと117勝を上げ、ともにメジャーでも活躍した。

 佐々岡もエースとして、138勝106Sと先発・クローザーで活躍し、潮崎は魔球シンカーを武器にセットアッパーとして西武の黄金時代を築いた。西村は近鉄ダイエーの3球団で5度の開幕投手を務め75勝、指名当初は散々言われた葛西も、実働13年で331試合に登板しブルペン陣を支えた。活躍した年数は短かったものも、与田は1年目31セーブで新人王、酒井もルーキーイヤーに10勝を上げた。

 話を元木に戻すと、元木と大森から逆指名を受けた巨人だが、高校生ナンバーワンの元木は2位では獲れない。ただ大森本人は本心ではなかったと述懐しているが、「高校生の次は嫌」と宣言したこともあり、どちらを1位指名するかで揺れていた。

 大森も確かに良い選手であったが、当時の巨人には、駒田徳広吉村禎章など同じタイプの選手がレギュラーにいるなか、敢えて1位で行く必要はあったのか…。素人目で見ても1位~元木、2位~大森が良いと思ったが、慶大OBの正力亨オーナーの慶大ラインの強さが大森指名に動いたとも言え、笑顔なき藤田監督の心中はさぞ複雑だったと思う。その大森だが、レギュラーはおろか一軍にさえ定着することなく、98年に近鉄へトレードされ翌年引退した。 

 その元木を指名したのは、かつて巨人入団を熱望しながら叶わなかった田淵幸一監督で、同じ境遇だったこともあり元木の説得に期待がかかったが、元木はあくまで巨人志望を貫き浪人を選択しハワイへ渡った。翌年、元木は念願叶い巨人へ入団するが、巨人ではスラッガーの影は潜め、スーパーサブとして曲者と呼ばれたが、そのままダイエーに入団していたら、どうなっていただろうか…。

●2位以下でも古田に前田の名選手が誕生、稀代のパフォーマー新庄は5位指名

 この年、2位以下で2人の名球会プレーヤーがいる。ヤクルト2位の古田敦也トヨタ自動車・捕手)と、広島4位の前田智徳熊本工高・外野手)である。

 古田は2年前(立命大)に指名間違いなしを言われながら、名前が呼ばれることはなく、報道陣の前で悔し涙を流した男が遂に入団。ディフェンスに優れた強肩選手が、野村克也監督のもとID野球の申し子として、ヤクルトの黄金時代を支え、首位打者も獲得した。前田は素質と努力で打撃に関しては一切の妥協も許さない天才打者で、落合博満イチローが認めた数少ない選手である。

 この年のドラフトで最も成功したのは広島で、2位で他球団もマークしていた仁平馨(宇都宮工高・外野手)を指名した瞬間、会場から「やられた」の声が上がった。3位で福岡に移転したダイエーが、下位指名見え見えの前間卓(鳥栖高・投手)を、そして4位で前田をそれぞれ順位を上げて指名し、6位で社会人が内定していた浅井樹富山商高・外野手)も獲得するなど、抜群のスカウトセンスを見せた。

 ヤクルトと近鉄も大成功のドラフトになった。ヤクルトは西村と古田以外は戦力にならなかったが、この2人の活躍で十分だった。近鉄も3位で石井浩郎プリンスホテル内野手を獲得し、近鉄の4番としてのちに打点王も獲得している。ヤクルト、近鉄ともにエースと主力野手を獲得した会心のドラフトになった。

 西武と中日も悪くなかった。西武は2位で、大学卒業時にプロ拒否で社会人に進んだ鈴木哲(熊谷組・投手)を指名し驚かせた。ただ、素材は1位級だったが鈴木が、通算成績僅か7勝は大誤算だった。3位では大舞台に強かった大塚孝二東北福祉大・外野手)、4位で宮地克彦尽誠学園高・投手)を獲得している。宮地は打者へ転向し、西武では芽が出なかったが、移籍したダイエーで活躍した。

 中日2位の井上一樹(鹿児島商高・投手)は、野手に転向しレギュラーを獲得、5位でセンバツ優勝投手の山田喜久夫(東邦高・投手)、6位で専大進学が濃厚だった元木のチームメイト種田仁(上宮高・内野手を強行指名し見事獲得。その種田は元木以上の成績を残した。

 阪神日本ハムは今ひとつだったが、チームを代表する2人の個性派選手が入団している。阪神は5位で新庄剛志西日本短大付高・外野手)を獲得。高校時代から守備と強肩がウリだったが、華のあるプレーで一躍阪神のスター選手になり、その後メジャー挑戦を経て、日本ハムへ移籍した。その日本ハムは2位で、エースとして活躍した岩本勉阪南大高・投手)が入団し、ユニークなキャラクターでも人気を博した。

 大洋はドラフト当初、2位で東瀬耕太郎(明大・投手)、3位で平塚克洋(朝日生命・外野手)の即戦力を指名し評価が高かったが、佐々木以外は不発。ロッテも1~4位まで大学・社会人の即戦力を指名したが小宮山以外は戦力にならなかった。

 大失敗だったのがオリックスダイエー、そして巨人だ。オリックス1位の佐藤は、パンチの愛称で親しまれ、爆笑コメントを連発し一躍人気者になったが、本業の野球はさっぱりで、わずか5年で引退しタレントになった。3位~高橋功一(能代高・投手)の通算24勝が唯一の救いになった。

 ダイエーも散々で、元木を逃したうえ、井上や前田、新庄といった九州の原石はすべて他球団に奪われた。3位で橋本武広プリンスホテル・投手)、5位で馬場敏史新日鉄堺・内野手を獲得するも、橋本は移籍した西武で中継ぎで活躍、馬場も移籍したオリックスで守備職人としていぶし銀の活躍を見せ、95~96年のオリックス優勝に貢献し、逃した魚は大きかった。

 巨人は最初からミソがつき、2位の川辺忠義川崎製鉄千葉・投手)は会社残留、4位の佐久間浩一(東海大・外野手)は故障、6位の浅野智治(岡山南高・投手)は社会人内定で3人が入団を拒否した。ただ、川辺と浅野が折れ、最後まで渋った佐久間も入団にこぎつけたが、佐久間と浅野は一軍出場ないまま引退し、川辺も1勝で現役を終えた。唯一の救いは、甲子園優勝投手の吉岡雄二(帝京高・投手)の3位指名だったが、吉岡は野手転向後、近鉄へ移籍したのちの活躍が光り、誰一人戦力にならなかった。

 この年にプロ拒否したのは元木の他に、ヤクルト3位の黒須陽一郎(立大・外野手)で、黒須は野球部のない一般企業に就職し完全に野球から離れた。ただ、黒須の拒否にはすったもんだがあり、立大からヤクルト入団が暫くシャットアウトされる後味の悪いものになった。他に甲子園準優勝投手の大越基仙台育英高・投手)、仁志敏久常総学院高・内野手)が大学に進学している。

 最後にこの年は監督も多く輩出している。監督兼選手の古田(ヤクルト)をはじめ、昨年には与田(中日)、そして今年は佐々岡(広島)と3名の監督が誕生し、潮崎も西武の2軍監督、小宮山は母校・早大、大塚も東北福祉大の監督を務めている。

 一方でタレントに転向した元木やパンチ佐藤、稀代のパフォーマー新庄など、多種多様な選手がおり、元木はヘッドコーチとして巨人へ復帰、新庄も現役再挑戦を表明するなど、まだこの世代からは目が離せない。